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  緒方春朔 −わが国種痘の始祖−  
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天然痘関係歴史略年表

 

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緒方春朔史談
 
其之壱
−「春朔の生い立ちについて」
 
其之弐
−「『種痘必順辨』か『必須辨』か」
 
其之参
−「春朔の遺品について」
 
其之四
−「梅野信吉」
 
カット種痘必順辨


其之壱−「春朔の生い立ちについて」

結論 > はじめに

1.結論

 【結論:新資料調査によって緒方春朔の両親の名前が、今までの文献に述べられているのとは違うことが分かった。すなわち父親は、小田村甚吾で、母親は久留米藩士小田村甚兵衛の女(名は不詳)である】

2.はじめに

 春朔の父親は、瓦林清右衛門と文献上皆一致して記されている。
 母親については、小田村甚兵衛女と記されているもの、秋月藩領下座郡小田村(現朝倉市福田町小田)の甚兵衛の女とするものがある。愚著「種痘の祖緒方春朔」@には、柴多一雄の説Aを採り、小田村の甚兵衛の女と記した。しかし、小田村の甚兵衛なる人物の存在に疑問を持ち調べてみることにした。

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