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其之弐−「『種痘必順辨』か『必須辨』か」
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はじめに > その混乱の状況 > 現存する『種痘必順辨』を調べる > 「必順辨」が正しいと考える

4.「必順辨」が正しいと考える

 これまでこの「順」と「須」の問題について詳しく論じられたことはなかったが、藤野恒三郎氏は、ご自分の所蔵の写本にもとづいて、また、山崎氏著書その他を引用して「順」は誤りで「須」がただしいとされている。

 しかし、次の3つのことにより春朔がつげた書名は、「順」であると考えることが出来る。

 その1つは、2代目春朔にあてた池田瑞仙の書簡の中に出てくるのは「順」であるからだ。春朔(初代)自信の自筆による「順」と書いたものがあると、これによりはっきりするのであるが、彼自身の筆になるものは残されていない。しかし2代目春朔の時代に、当時の幕府の医学館痘科初代教授池田瑞仙が、2代目春朔にあてた書簡の中では「順」となっていて、しかも2ヶ所ともそうなっている。これは2代目春朔が初代春朔像の軸物と『種痘必順辨』を池田瑞仙のところまでもって行かせ、軸物に瑞仙の賛を入れてもらうようお願いした件の返事の書簡である。この中ではっきり「順」と瑞仙は書いている。その書簡とは次のようなものである。(書簡の文面

 その2つ目は、現存する『種痘必順辨』の調査結果である(表1)。5冊の本の1冊(富士川游本その2)の表紙だけが「須」で、その中の本文は「順」となっている。そしてこの本は写本であり、版本の富士川游本その1は「順」となっている。版本の題名が正しいものの可能性が大であると考える。
眼鏡橋のイメージ

 その3つ目は、『種痘必順辨』の本文を読解するに「順」としか考えられないからである。本文を読むと、「種痘と云うものは必ず順症、順痘になるの弁」と云う意味となり「順」と考えた方が理にかなっている。井上無限先生はシンポジウム「種痘の始祖、緒方春朔先生に学ぶ」(1990)に於いて『種痘必順辨』の題名について、「私の完成した種痘法は『必順』百%順症で順調に経過し、全く安全ですよ、その道理を明らかにしたのがこの本です」と説明している。さらに、次のようにこの問題について詳しく所見を述べている。

 「『必順弁』か『必須弁』かの問題ですが、富士川家蔵本表紙は明らかに『種痘必須辨』と書いてあります。富士川游先生が医史学の大家ですので2説が出たのではないでしょうか。然し内容は皆「必順」になっています。なお小川鼎三先生の本(医学の歴史、医学古書目録)は「必順辨」となっています。

 なぜ「必須辨」と書いたのか、それは書いた本人しか分からないのですが、必順弁の内容があまりにも素晴らしく感動的ですので「之は必順弁であると同時に医者が常に座右に備えて反省熟読すべき必須の本である」と自ら必須辨と書いたと考えられないでしょうか。それ程、必順弁は感動的、心の本であると思います。なお「必順」を必ずしたがうと読まれていますが、第2の意味のすなお、おとなしい、やわらぐという意に解すべきと思います。それは必順弁の中に、稀順の痘、順痘、順候、痘の順逆、順吉稀痘、種痘は必ず順症を得るの術、等々の記載があるからです。これは前から議論があるところでありますが、「順」というと、種痘をして人工的に天然痘にかからせたのが軽いということになりますけれども「須」ということでそれを説明するのは非常にむつかしいと思うんですね。それともう1つは、この中に『ここにその損なくして益ある辨をなして「種痘必順」の理を世に示す』ということがこの『種痘必順弁』に書いてあります。これは春朔の方法でやってその結果が損はなくて、益ばかりであるということで、重症な天然痘を引き起こすことは全然なくていいことばかりだと、それを解ってもらうように「種痘必順」の道理を世に示す、道理を世に示すというのは弁にあたりますから「種痘必順」でないと「必須」、必ず用いるでは内容にそぐわないと私はそのように考えております」

 以上のように、資料調査及び『種痘必順辨』本文の読解によって「須」とは考えられず、「順」が緒方春朔がつけた題名に間違いないであろうと考える。


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