久留米市立図書館収蔵の久留米藩士系図である『御家中略系譜』と『中扈従御徒士略系図』に、久留米藩士瓦林家と小田村家の系図を見つけることが出来た。
緒方春朔の父親は、小田村甚吉なのに何故、瓦林清右衛門とされていたのか。
秋月藩士の系譜である『秋府諸士系譜』に、緒方春朔の父親は、婿養子になるまえの名前(初名)瓦林清右衛門の二男と記されているD。
従ってこれから引用されたためではないだろうかと考える。
浅野陽吉が資料として使った秋月緒方家記録とあるのは恐らくこの秋月郷土館蔵『秋府諸士系譜』であろう。瓦林清右衛門の二男と記されているE。
では、秋月藩士の系譜である『秋府諸士系譜』に、何故瓦林清右衛門の二男と記されたのか。小田村甚吾(初名瓦林清右衛門)の瓦林家の先祖が、秋月藩士宮崎舍人の妻で秋月家中にいたBのが関係があるのではないかと思われる。
瓦林清右衛門が小田村甚兵衛の婿養子となり、小田村甚吾と名のる。小田村甚吾と小田村甚兵衛の娘との間に二人の男子ができ、長男清次郎は早世し、次男は栄三郎と名のる。この人が春朔である。後に久留米の医家緒方家に養子に行って緒方春朔と名のる。 したがって緒方春朔の父は「小田村甚吾」で、母は「小田村甚兵衛の娘(名不詳)」である。
文献:
@富田英壽『種痘の祖緒方春朔』35頁、西日本新聞社、2005
A柴多一雄「緒方春朔と秋月藩」甘木朝倉医師会編『シンポジュウム「種痘の始祖・緒方春朔先生に学ぶ」講演記録集』8頁、甘木朝倉医師会、1990
B『御家中略系譜』巻九、久留米図書館蔵、年代不詳
C『中扈従徒士略系図』二、久留米図書館蔵、年代不詳
D『秋府諸士系譜』二、秋月郷土館蔵、年代不詳
E浅野陽吉『種痘の祖贈正五位緒方春朔』8頁、浅野陽吉、1935