種痘を日本で初めて行い、これを広めた緒方春朔と同様、天然痘撲滅に生涯を捧げた人物が、この私共の郷土 にもう一人おられるのは郷土の人々にも余り知られていない、それは甘木町出身の獣医学博士梅野信吉である。 『医艸』第4号緒方春朔史談其之弐で、緒方春朔の業績および遺品をドイツ万国衛生博覧会に出展するために橋渡 しをした人物として紹介した。
私が、梅野信吉という名前を初めて見たのは、私の中学生時代である。高校受験の理科の参考書に、北里柴三郎、 野口英世、志賀潔らとならんで多分天然痘ワクチン発明者としてであったろう梅野信吉という名前が書かれていたのを おぼろげながら憶えている。少年期の記憶力は恐ろしいもので、その名前も左頁の上段に書かれていたのを今でも思い出す。子供の頃から、医師にならなければならない運命感のようなものがあって、特に医学者の項に興味があり脳 裏に刻まれていたのかも知れない。後に、父より甘木から梅野信吉という学者が出ていることを聞いて、あの梅野信吉かとびっくりしたことを憶えている。そのあと甘木には梅野姓は少ないので、川原町の故梅野始氏(元梅野ふとん店)に父も私も何回となく聞いたことがあるが、自分の祖先にはそのような人はいないということだった。
そのまま月日がたち、先般行われた緒方春朔種痘成功200年記念行事をきっかけに甘木市川原町在住の上野延雄氏(元甘木市教育長、元甘木小学校長)より、梅野信吉が川原町出身で、もとは藤田姓であることなどを聞き、その後調査を始めいくばくかの資料が得られたので、ここに緒方春朔とならんで天然痘撲滅につくしたもう一人の郷土の 先人を紹介したい。