西暦 |
事項 |
和暦
時代 |
年 |
B.C
1100 |
エジプトのラムセス5世のミイラの顔面に、天然痘の病変と思われる痕跡が見られる。天然痘が存在していたことを示す最古のものである。 |
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A.D
735 |
筑紫(今の北部九州)で発生した天然痘が東方に広がり、多くの死者がでた。 |
天平 |
7 |
737 |
天然痘により藤原氏一族をはじめ多くの死者が出た。 |
9 |
925 |
醍醐天皇、疱瘡を病む。 |
延長 |
3 |
1143 |
近衛天皇、崇徳上皇、待賢門院、疱瘡を病む。 |
康治 |
2 |
16世紀 |
スペインの征服者ヘルナン・コルテスが新大陸に天然痘をもたらした。
このため、ウズテク帝国が滅亡した。 |
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17世紀 |
日本においては、この一世紀の間に4回に及ぶ流行の記録が見られる。 |
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1653 |
明の僧医・戴曼公来日、治痘法を伝授する。 |
承応 |
2 |
1709 |
東山天皇、疱瘡により没する。 |
宝永 |
6 |
1713 |
トルコ駐在イギリス公使夫人モンタギューは、帰国して人痘種痘法を紹介した。 |
正徳 |
3 |
1744 |
中国から種痘科李仁山渡来。後年、李仁山が長崎で人痘種痘実施する。 |
延享 |
1 |
1748 |
緒方春朔、久留米藩士 小田村甚吾の二男として生まれる。 |
寛延 |
1 |
1749 |
エドワード・ジェンナー生まれる。 |
2 |
1752 |
『醫宗金鑑』日本に伝来す。 |
宝暦 |
2 |
1766 |
上江州倫完が琉球にて人痘種痘法を実施する。 |
明和 |
3 |
1783〜84 |
春朔、久留米より筑前上秋月に移住する。 |
天明 |
3〜4 |
1789 |
この年、筑前秋月で天然痘が流行する。 |
寛政 |
1 |
1790 |
筑前秋月藩医・緒方春朔、天野甚左衛門の二児に鼻旱苗法で人痘種痘実施する。 |
2 |
1793 |
緒方春朔、我が国最初の人痘種痘書「種痘必順辨」を著した。 |
5 |
春朔、長崎にて五児に種痘を実施。 |
1795 |
藩主に伴って江戸に赴き,求めに応じ多くの人に種痘法を実施する。各藩侍医に種痘法を伝授する。 |
7 |
1796 |
5月14日イギリスの医師ジェンナー初めて牛痘苗による種痘実施。 |
8 |
春朔、「種痘緊轄」・「種痘證治録」を著す。 |
春朔、寛政2年より寛政8年までに1100余児に種痘を実施。 |
1798 |
幕府は医学館に痘科を創設し池田瑞仙を教授とした。 |
10 |
1801 |
ジェンナーは著書の中で天然痘根絶の可能性を予言している。 |
享和 |
1 |
1810 |
正月21日、春朔、病のため63年の生涯を閉じる。 |
文化 |
7 |
1820 |
中川五郎治が持ち帰ったロシア語牛痘書を馬場佐十郎が訳した
「遁花秘訣」はわが国最初の牛痘書。 |
文政 |
3 |
1823 |
シーボルト来日、牛痘苗を持参し日本人に接種したが不成功。 |
6 |
1830 |
大村藩が古田山を種痘山とし、そこに隔離して人痘種痘を行った。 |
天保 |
1 |
1849 |
7月 楢林宗建が牛痘苗を三男と通詞の子二人に接種し、三男のみ善感。
牛痘苗による種痘に初めて成功する。 |
嘉永 |
2 |
11月 緒方洪庵ら大阪に除痘館開設。 |
11月 佐賀藩より江戸の伊東玄朴に痘苗が送られ、江戸藩邸で接種。
江戸での種痘初め。 |
1858 |
伊東玄朴ら江戸の蘭方医80名、神田お玉ヶ池に種痘所を開設。 |
安政 |
5 |
1861 |
種痘所を「西洋医学所」と改称し、組織を教授、解剖、種痘の三科とした。 |
文久 |
1 |
1868 |
旧幕府医学館を「種痘館」とし、翌年には市中出張所を復活して、
生後75日より100日の者に接種を受けさせた。 |
明治 |
1 |
1885 |
種痘法の制定。 |
18 |
1885〜87 |
天然痘、明治になって第1回大流行、死者3万2千人。 |
18〜20 |
1892〜94 |
天然痘、明治になって第2回大流行、死者2万4千人。 |
25〜27 |
1896〜97 |
天然痘、明治になって第3回大流行、死者1万6千人。 |
29〜30 |
1916 |
春朔、正五位を贈られる。 |
大正 |
5 |
1919 |
大正時代最高の天然痘死者数(938人)を出した。 |
8 |
1926 |
この年の天然痘死者数158人を最高に昭和20年の終戦まで
死者100人を超える年はなかった。 |
昭和 |
1 |
1927 |
朝倉群医師会は緒方春朔の顕彰碑を旧秋月城祉、垂裕神社の境内に建立。 |
2 |
1946 |
外国からの引揚者の影響で天然痘大流行。患者1万8千人、死者3千人。 |
21 |
1955 |
この年の天然痘患者一人を最後にわが国の天然痘患者はゼロ。 |
30 |
1959 |
甘木朝倉医師会、緒方春朔百五十年祭施行。 |
34 |
1966 |
WHO総会は世界天然痘根絶計画の強化を可決。 |
41 |
1971 |
南アメリカから天然痘根絶。 |
48 |
1975 |
バングラデシュでアジア最後の天然痘患者を記録。 |
50 |
1976 |
日本、定期種痘を停止した。 |
51 |
1977 |
ソマリアでアフリカ最後の天然痘患者を記録(これが実質上世界最後の天然痘患者)。 |
52 |
1979 |
ケニアの首都ナイロビで、WHO世界天然痘根絶確認評議会が、
世界から天然痘患者が根絶されたことを確認した。 |
54 |
1980 |
WHOは総会で「世界天然痘根絶」を宣言した。 |
55 |
1990 |
甘木朝倉医師会、緒方春朔種痘成功200年記念顕彰事業を実施する。 |
平成 |
2 |
2004 |
秋月に緒方春朔顕彰碑『我国種痘発祥之地秋月』を建立(春朔会)。 |
16 |
2010 |
緒方春朔没後200年記念顕彰碑建立(朝倉医師会・甘木朝倉法人会) 秋月杉の馬場 |
22 |
2014 |
「予防接種記念日」(2月14日)制定される 制定者名:「予防接種は秋月藩から始まった」キャンペーン推進協議会 認定者:社団法人 日本記念日協会 |
26 |
2015 |
天野甚左衛門顕彰碑建立(天野甚左衛門顕彰碑建立実行委員会)上秋月 |
27 |