寛政2(1790)年、秋月藩医 緒方春朔は日本で初めて種痘を成功させました。
これは、我が国における天然痘撲滅の第一歩であり、治療から予防へと日本の医療が新たな領域へと踏み出した歴史的契機と伝えるでしょう。 春朔のこの偉業は、これまで朝倉医師会による顕彰活動の他、医療関係を始めとする各種出版物などでも紹介されてきました。
しかし、種痘の成功は彼のみの力で成しえたものではありません。その裏に、天野甚左衛門という人物が重要な役割を果たしていたのです。 当時、多くの子供たちの命を奪ってきた伝染病である天然痘に対する恐れから、種痘に対する恐怖・偏見もまた取り除きがたいものでした。
そのような中、春朔の研究を支え、彼が考案した人痘種痘法を信頼し、最初に我が子への種痘を申し出たのが、上秋月の大庄屋であった 天野甚左衛門なのです。緒方春朔への評価が高まる一方で、郷土の人でさえよく知らないというように、甚左衛門の功績については正当な評価
を得ているとは云い難い状況といえます。
このためこの会では、種痘の成功に不可欠な役割を担った天野甚左衛門に光を当て、郷土を代表する一人物として、後世に語り伝えるべく、 その功績を顕彰することを目的としています。
つきましては、本会設立の趣旨にご賛同いただき、併せて今後取り組んでまいります顕彰活動に対し、皆様方のご理解とご協力を 賜りますようお願い申し上げます。
緒方春朔種痘成功200年記念顕彰碑
レリーフ作者:彫刻家 斉田文夫氏