ホームへ
  緒方春朔 −わが国種痘の始祖−  
偉業を讃える
 
緒方春朔の史跡を訪ねて
 
緒方春朔史談
  
資料を探す
 
天然痘関係歴史略年表

 

作者紹介
 
サイトマップ
バタバタ市と天然痘
戻る 緒方春朔の史跡を訪ねて

安長寺の写真 緒方春朔と直接関係は無いのだが、甘木市(現朝倉市甘木)には天然痘にゆかりのある有名な祭りがある。正月の4〜5日に名物の豆太鼓(バタバタ)を求める参詣者で賑わう安長寺の「バタバタ市」である。
この市は、交易の市を開いた正月の初市が始まりで、毎月定期市が立つようになり町は大きく発展した。つまり甘木町は安長寺の門前町だったのである。現在も定期市の名前が町名として二日町、四日町、七日町、八日町等と残っている。

【甘木の由来】
 甘木の地名は、9〜10世紀頃甘木安長が建立した甘木山安長寺の山号「甘木山」に由来すると伝えられており、福岡県町村合併調書には「甘木町」の紹介を次のように記してある。
 「今から約一千有余年前、醍醐天皇の御代、南部より甘木安長と称する豪族が荘園管理のためにこの地に移住して兼ねて信仰の篤い和州矢田の金剛寺より、我国三体の一である地蔵尊ニ体を拝請して、之を本尊として一大伽藍を建立し、甘木山と称した。明治二十二年四月一日、町村制実施に際し、これに因んで甘木町と改称した。」

 甘木安長(遠江守安長)が幼少の頃天然痘を患っていたのだが、金剛寺に祈願し癒えたところから、この地蔵が霊験あらたかということになったらしい。「天然痘にかかったことのない子供は、我が子と思うな」という言葉が残っているほど、多くの子供達の命を天然痘は奪っていった。当時の人々は神仏に祈るより他に手段はなかったのだろう。

【バタバタの由来】
 安長寺は祈祷を施した護符を発行し、これを請けようと遠近の参拝者が多く訪れた。天然痘除けの豆太鼓の柄を両手ではさみ回転させることで、バタバタと可愛い音を発する。これが「バタバタ市」の語源となっている。
安長寺門の写真
アーケードの巨大豆太鼓の写真
 バタバタ市は、1月14〜15日であったが平成12年より1月4〜5日となった。
 この日アーケード内には、大きな豆太鼓が飾られていたが、いつから飾り始めたのだろうか。(左の写真)
また、行き交う参拝客へ甘酒などを振る舞う商店も数店見られた。(200
2年1月4日)

太鼓
 竹ひごを丸く曲げ、秋月和紙を両面に張り、太鼓の形状にして童子の顔を描き入れている。太鼓の左右に糸でつり下げた豆が、特徴的。

※2006年3月20日に3市町(甘木市、朝倉町、杷木町)の合併により、新市「朝倉市」となる。
戻る
上へ

 [HOME] [上へ]  [偉業を讃える] [史跡を訪ねて] [春朔史談] [資料を探す] [歴史略年表] [作者の紹介]
このページは、Internet Explorer 4.0、Netscape 4.5以上でご覧ください。(他のブラウザでは、正常な表示となりません)

copyright(c)2002 Hidehisa Tomita